ゆかりの社寺
六孫王神社
所在地:京都市南区壬生八条通角
御祭神の経基王は、第五十六代清和天皇の第六皇子貞純親王の御子(天皇からみれば孫に当たる)ゆえ、六孫王といわれる。経基王薨去の際、遺言に「亡き後も霊魂は龍(神)と化して此の西八条亭の池に住みて子孫の繁栄を祈らん」と申されたとある。(これが現在も境内中央にある神竜池である)経基王薨去後、御子の満仲公が応和三年(963)九月に王の邸宅であったこの地に葬り、社殿を建立したのである。
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壷井八幡宮
所在地:羽曳野市壷井
壷井には、壷井八幡宮と摂社として壷井権現社がある。壷井八幡宮は、前九年の役(1051~1063年)の際、源頼義・義家公父子が、石清水八幡の神霊を奉じて東北に出陣し、平定に成功。本拠地壷井に戻って、1064年に勧請したものです。また権現社は、義家公の五男義時公が、1109年源氏の氏神(頼信・頼義・義家三公)として創建したものである。
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満願寺
所在地:川西市満願寺町
山門の両脇には明治初年神仏分離の際、多田神社より移された金剛力士像二体がそびえ立ち、本堂までの長い石段を歩くと桜とサツキの名所として知られており、源氏一門の祈祷所として信仰された寺院である。
千手観音像・十一面観音像や、国指定重要文化財の九重塔があり、また書院庭園、坂田金時の墓でも有名である。
頼光寺
所在地:川西市東畦野
源満仲公の夫人である法如尼の発願により御子源賢僧都(幼名美女丸)によって建てられたといわれている。別名アジサイ寺と呼ばれ、梅雨時ともなれば境内にはガクアジサイ、洋アジサイなど500株ものアジサイが色鮮やかに咲く。
小童寺
所在地:川西市西畦野
源満仲公は、我が子美女丸を僧侶にしようと中山寺に出したところ、修行を怠っていたことから重臣の藤原仲光に美女丸の首を切るように命じた。しかし、仲光は主君の御子を切ることが出来ず、自分の子である幸寿丸を身代りに切り、美女丸を比叡山に逃がした。
後にこのことを聞いた美女丸は悔い改めて修行に励み高僧となり、また幸寿丸を弔うため小童寺を建てたといわれている。境内には、美女丸・幸寿丸・藤原仲光の墓がある。
能勢 妙見山
所在地:川西市黒川奥山
源満仲公は多田築城の折に、鎮宅霊符神(城の守護神)として妙見大士(妙見菩薩ともいう。北極星又は北斗七星を神格化したもの。国土を擁護し、災害を滅除し、人の福寿を増すといわれる)を勧請されたが、満仲公の孫頼国朝臣が長元年中(1028~1037年)に能勢郷に移住するに当たり、妙見大士を野間の高峰(妙見山)に移し、満仲・頼光両公の神霊と共に合祀したのが起源とされている。以来、頼国朝臣の子孫である能勢氏により祭祀が行われたが、慶長八年(1603年)第二十三代当主頼次が京都本満寺貫主日乾上人を招いて、それまで真言宗であったのを日蓮宗に改め中興開山とした。そのような経緯から多田神社とは極めて深い関係にあり、近世においては妙見山に参詣する者は必ず多田院(多田神社)に、多田院を参詣する者は必ず、妙見山に参詣する慣習があったという。
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西大寺
所在地:奈良県西大寺町
奈良時代(769年)に称徳天皇の発願により創建される。再三の災害に遭い一時衰退したが、名僧興正菩薩叡尊上人によって復興し、真言律宗の総本山として現在に至る。鎌倉時代に行われた多田院修造の際、勧進聖として命ぜられたのが叡尊上人の弟子の忍性であり、本堂完成を祝う曼荼羅供養では叡尊上人が導師を務めた。
以後、多田院別当は西大寺の読師(僧職の一つ)の中から選ばれるようになる。また、明治初年多田神社より移築された鐘楼があり、市指定文化財となっている。
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光明院
所在地:千葉県香取市
天慶の乱(940年)に源満仲公が父と共に平将門の追討の為にこの地に陣を構え、この周辺地勢が故郷に似ている事から「多田」と名付けて、建立したと伝えられる。境内は、市指定史跡になっており、源氏の守護神を祀る八幡宮や満仲公の供養塔(五輪塔)がある。
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石造宝筐印塔
所在地:神奈川県箱根町
箱根山中、芦の湯から元箱根に通じる国道一号線沿い、精進湖周辺にある石仏・石塔群(元箱根石仏石塔群)の中に見上げる程大きく立派な石造宝筐印塔、俗称源満仲公の墓がある。1296年に造立され、1300年に忍性が供養の導師を務めている。国指定の重要文化財になっている。
多田神社
所在地:東京都中野区
源満仲公の子孫、頼義・義家両公が前九年、後三年の両役に奥羽の地に赴き凱旋の帰途、祈願達成の報賽として大宮八幡宮に神鏡を献じ、別当宝仙寺を建立。そして、日頃淑敬する源満仲公の祠を建てた事に由来する。
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高野山奥之院
所在地:和歌山県高野町
高野山の一の橋から御廟までの約二kmの参道には、皇族、貴族を始め、武田信玄や豊臣秀吉等の戦国大名、文人や庶民に至る迄あらゆる時代の、あらゆる階層の人々の供養塔が建立されている。その供養塔の中で、最古の供養塔と云われているのが源満仲公の供養塔である。
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