多田神社 公式サイト

境内案内

境内案内

御本殿<国指定重要文化財>

徳川四代将軍家綱公により寛文七年(1667)創建。

拝殿<国指定重要文化財>

徳川四代将軍家綱公により再興。
桁行7間、梁間3間の大規模な入母屋造、檜皮葺屋根の構造物である。

随神門<国指定重要文化財>

徳川四代将軍家綱公により再興。両脇に築地塀が付き、三楝造と呼ばれる伝統的な手法により建てられた八脚門。豊岩間戸尊、櫛岩間戸尊の二体の随神像が安置されている。

御廟所

御本殿真裏にあり、源満仲公・源頼光公の墓所。禁足地となっており、子孫である足利尊氏公以下、足利歴代将軍の分骨も収められている。

南大門<県指定重要文化財>

多田院のもとの仁王門であり、両脇に仁王像があった。明治4年神仏分離の折、仁王像は満願寺山門に移転され、安置されている。

東門<県指定重要文化財>

徳川四代将軍家綱公による再興にて造営され、全体的に木柄が太く、主柱の架構が鳥居様式であり、控え柱上の屋根妻が正面に見えているのは、高麗門としては珍しい扱いである。江戸時代の遺構としては重要な建築物とされている。

西門<県指定重要文化財>

徳川四代将軍家綱公による再興にて造営され、全体的に木柄が太く、主柱の架構が鳥居様式であり、控え柱上の屋根妻が正面に見えているのは、高麗門としては珍しい扱いである。江戸時代の遺構としては重要な建築物とされている。

神馬舎

東京都の後藤光行、綿引司郎両氏より、昭和42年より一年六ヶ月の歳月を費やして作成された神馬が納められており、屋舎は元内務省神社局松本芳夫氏の設計・監理のもと建てられた。

宝物殿<国登録有形文化財>

昭和4年に立て替えられたもので源家の宝刀、鬼切丸をはじめ昔をしのぶ甲冑、刀剣、書画、古文書(重文)等を数千点所蔵しております。宝物殿は現在休館中です。

六所宮<県指定重要文化財>

伊勢、賀茂、稲荷、春日、住吉、熊野の神々を祀っています。旧多田院の鎮守社として、また多田荘72ケ村の総社として鎌倉期に創建された神社です。
現在の社殿は室町後期に再建された三間社造りで建築様式、組物、蓑束、懸魚等の細部手法は非常に貴重であります。

厳島神社<県指定重要文化財>

市杵嶋姫命を祀っています。
旧多田院では、「弁財天女」とも呼ばれ古くより厚い信仰を集めています。
一間社造りの社殿は室町後期に再建されたものです。

田尻稲荷神社

宇迦之御魂命を祀っています。
旧多田荘の田尻より移築され、社殿は、一間社流造で全面に彩色が施してあります。

政所殿

境内東側の政所跡地に御祭神の御神徳を仰ぎ、文武両道による心身修練の場として、昭和61年に竣工した儀式殿兼武道館である。建築面積660m2、外部は漆喰真壁造、本瓦葺。内部は桧・杉・欅材を用いた木造仕上げである。

志道会 久下道場
(土曜日 13:00~16:00)
合気道 天地会
(日曜日   9:30~12:30)

の稽古を行っております。

鬼首洗池

御祭神源頼光公が大江山の鬼退治をした際、この池で鬼の首領、酒呑童子の首を洗ったと伝えられています。
夏には、日本固有種で地域によっては天然記念物にも指定されてる『モリアオガエル(森青蛙)』の産卵がみられます。

招霊木(おがたまのき)<県指定郷土記念物>

神社にとって由縁ある樹木で榊同様に考えられています。
霊(たましい)を迎えるのでオギタマ(招霊)から転じたといわれ、
その実の形より、巫女が神楽などで使う鈴をかたどったといわれています。

唐椿(キャプテンロー)

寛文年間旧多田院の檀家薩摩藩主島津家より贈られた椿です。中国雲南地方より南の亜熱帯地方を原産とし、四月中旬頃に大きな花をつけます。

無患子(ムクロジ)<県指定郷土記念物>

本州、四国、九州に分布するムクロジ科の落葉高木です。丸くて黒い実は羽子突きの羽子の球として用いられる。
樹齢は定かではなく、一説には1000年ともいわれています。

宝物殿(現在休館中)

源家宝刀
鬼切丸(銘安綱)

多田神社文書1120点
(国指定重要文化財)

源満仲公
古銅印

四代将軍徳川家綱公着用

酒井雅楽頭 寄進

072-793-0001